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森の中には静寂が満ちていて、時折鳥のさえずりが聞こえた。
背の高い木が蒼青と立ち並び、朝の瑞々しい風に揺れている。

初夏の静かな森のなか、美しい雌滝があった。
静かに流れ落ちる水は、滑らかに透き通っている。
水面に浮かぶ泡がきめ細かく舞い、
水しぶきがそよ風に煌めいている。
雌滝の周りは小さな泉になっていて、
あたりには小さな花々が咲いている。
夏の光が差し込み、時おり穏やかな風が花々を撫でた。

少年は、村から離れたその泉にやってきた。
知る限り、その景色だけが少年の心を癒やすことができたからだ。
しかし普段と違ったのは、草陰から男二人の声がしたことである。
「見てろ。あれは高くつくぞ。」

 少年が男二人組のやけに潜めた声に気付いたのは、
その声色に警戒すべき悪意が滲んでいたからだろう。
少年からはちょうど、男二人の無警戒な背中が見えていた。
男二人は草陰に屈み込み、しめしめと笑っている。

「でもほんとに、思いがけず儲けものに会いましたね。」
「ああ、竜のしっぽの脱皮なんてな。
 おれも噂でしか聞かないし、市場にも出回らない。
 とにかく高くつく。」

–竜?

警戒心は緩めなかった、けれど毛色の違う話題にふっと興味が湧く。

彼らの視線の先には、少年の目的地である雌滝があった。
よく見てみれば人が、沐浴している。
あれが男二人のいう、竜だろうか?
まるで人のかたちをしているように見える。
遠目に分かりづらいが、からだの線は細い。
肉体労働者のように日焼けはしていない。
その体が抱えるように持っているのは、
男二人組のいう通りならしっぽである。
しっぽの先端を、親指と人差し指で、紙幣を数えるように擦っている。

「ああ、でも大丈夫ですかね?
 痒そうにあんなに引っ張って、すっごく雑だなぁ。
 傷、つかないかな。価値が落ちるかも。」
「声を掛ければ逃げちまう。がまんだ」

男二人はもどかしそうに、やや苛立ちながら、その様子を熱心にみつめていた。

こんなふうに少年に観察する時間も、考える余裕もたっぷりとあったのは、
幸いな事に男二人が少年に気づくことなく、背後に無警戒であったからだ。
年背格好も男二人が優勢である。
殴りかかられたら確実に負ける。

少年は気づかれないよう息を潜めていた。
今なら足音立てずに立ち去っても、気づかれないだろう。
少年の両親が健在だったなら、逃げろと警告しただろう。

じゃあ、あの竜は?

少年よりも背格好は年上に見えたが、
男二人に勝てるようにも到底見えない。
卑下た笑い声がいやに耳に付く。
少年があの旅人を置いていけば、
よければ身包みを剥がれるくらいで済むだろう。
けれど、けれど…。
これしかない、と思いながら少年は叫んでいた。

「熊だ!熊だ!たすけて!」

男二人がぎょっとして逃げ出す。
少年を振り返る事なく、辺りを確認する様子もなく、街の方へと逃げていく。
ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、飛んできたのは沐浴していた竜だった。

「熊だって!?」

竜と呼ばれた青年は、がっしりと少年の肩を掴み、がくがくと揺さぶった。
きらきらと目を輝かせた竜のすがたは、少年よりも年上の人間に見えたが、
子供っぽくはしゃいでいた。
少年を心配してきてくれたのだろうか。
薄く透けたずぶ濡れの湯浴み服は、仕立てが良いらしい。
危機去って、少年の警戒心が一気に緩む。

「いや、ごめん、大丈夫だよ、嘘だから」
「えっ、うそ…」

竜の青年は、明らかに落胆している。

「どうして?熊、怖くないの?
 もしかして食べたかったとか?」

竜、という情報が先行していたためか、
からかうように少年が笑うと、竜の笑顔がさっと引いた。

「あーあ。
 じゃあおまえを食べようか、人間?」
「へっ」
「ちょうど腹も減っていたとこだし」
「え、ちょっと」

少年の肩に手をかけたままの竜は、そのまま力を込めていく。
少年の服に、泉の水がじわじわと染み込む感覚に悪寒が走る。
助けたつもりが、殺されそうだなんて。

「ちょ、ちょっと、ちょっと待って、ちょっと待ってってば!」

少年の制止もいとわず、
竜の青年は無言のまま肩にかぶりつく。


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