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「うまーい!」
目の前のヘリルは目を輝かせながら、口もとをソースで光らせている。
二・三人前は裕にあるであろう、柔らかな羊肉のソースがけを、
切り分けることなくかぶりつき、休むことなく食べ続けている。
役目を迎えることのなかったナイフが、綺麗なままテーブルの隅へと押し退けられていた。
本来、行儀悪いことこの上なかったが、ふたりを注意する者は誰もいないのが幸いだった。
街の大衆食堂はこの時間、労働者や旅人たちの活気で溢れ、
すぐ正面に座っているヘリルの声さえ聞き取るのが難しい。
ヘリルの食べっぷりは喧騒に紛れて目立つことはなかったが、
食堂からはむしろ歓迎されていた。
食堂の女将さんがいい食べっぷりだね、と微笑んで、
果汁とシロップいりの飲み物をサービスしてくれた。
ぽかん、として飲み物を受け取ったヘリルだったが、
ウィルが女将さんに礼を言うと、ヘリルもそれに倣ってぎこちなくお礼を言った。
女将さんはすこし微笑んで、忙しげにホールに戻った。
外国の子だと思われたかもしれない。
人の多い大衆食堂を選んで正解だった。
深入りされずに、食事を摂ることができるからだ。
しっぽを隠すために着たままの外套は、袖口がソースにまみれている。
ウィルは、初めてテーブルについた幼児を眺める気分でヘリルを見た。
大人たちと違ったのは、それを注意するのを躊躇っていることだ。
食べたいものは手掴み、ナイフもフォークも使わない。
竜の一族で育ったというなら、
人間の街のことはよく知らないのかもしれない。
「やるじゃん、人間。
こんな美味しいものがあるなんて」
「竜の暮らしには、無いの?」
「無いよ。
調理は、保存食の毒を抜くときだけやるかな。
基本的にその場で捕ってバクッ!といくんだ」
ヘリルがにやりと笑い、肉を皿に置いたかと思うと、
両手を振りあげ、ウィルにかぶりつく真似をする。
「じゃあ、僕はさっき、すごく危なかったんだね」
「当たり前だろ。
ほかの竜にあったらすぐ逃げないと食われるぞ」
ウィルのくすくす笑いにヘリルが脅す。
実際、ウィルの街でも竜の存在は知られているが、
人間を食べるなんておとぎ話くらいしか知らない。
宗教上、神様と崇めている人達もいるし、
害獣と見做して追い払っている村もある。
細かく種族があるらしいが、
ウィルは、人の形をした竜の話を聞いたことがない。
ウィルの村では、竜自体が縁遠いからかもしれない。
遠くの空を飛んでいるのは見かけたことがあるが、
竜そのものが立ち入らないし、崇めてもいない。
「ねえ」
「ん?」
ぺろりと大きな肉を完食したヘリルは、
ちみちみと果実入りシロップを飲んでいる。
「棲み家に帰るの?」
「…うーん、まあ、まあね。」
ヘリルが口ごもる。
「竜皮を売ったお金、この袋に入れておくね。
使い方はわかったでしょ?
好きな時にまた食べに来たらいいよ。
落とさないでね。」
「! じゃあ、じゃあさ」
一瞬曇ったヘリルの表情が、
ぴん、と閃いた途端に輝く。
「じゃあ、ウィルがお金持っててよ。
僕一人じゃ使い方も怪しいし、
騙されちゃうかもしれないし。」
「ほんとう?また会える?」
「もちろん。」
大衆食堂を出たあと、食堂の灯りを背中に受けながら、
二人はもと来た道をもどっていく。月明かりが明るい。
優しく穏やかな初夏の夜だった。
子供たちは眠る時間で、食堂では大人の喧騒が続いている。
ウィルと別れたあと、ヘリルは岬の人気のない崖淵に降りたつ。
やってきた時と同じようにそっと姿を変え、風を読んで気流に乗る。
目立たないよう、夜色の海面ぎりぎりをなめらかな風を受けながら、
滑るように棲み家への道をゆく。
気が重くなる考え事ばかりが気を塞ぐが、ふと今日のことを思い出す。
「…今日は、いい日だったな」
その言葉に応えるように、ヘリルの乗った気流に追い風が吹いた。
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